いつかどこかの世界
 『ワカヤマール物語』
    〜風の子守歌〜


いつかどこかの世界に、ワカヤマ−ルという国がありました。
ワカヤマ−ルは大国オオサカリアの隣にあり、これといった特徴のない国です。
けれど人の心はとてもおだやかで、
どこにもまけないことが一つだけあります。
それは国境地帯にほど近いロ−サイ山のふもとに
一人の魔女が住んでいることです。
「北の魔女アイコ−ディア」
人々は敬愛と親しみを込め、彼女のことをそう呼んでいます。


その日、リンゴの木の下でぼんやり空を眺めていたタムラ−ヌは、ふいに視界を横切る小さな影に
気が付きました。
「あら?」
みると、まだ幼いアルマジロの坊やです。
ただそれだけなら別に気にもとめなかったのでしょうが、その子がポロポロ涙をぼしているのを見ると、
どうしても声をかけずにはいられなくなりました。
「アルマジロさん、どうしたの?」
タムラ−ヌは優しく声をかけて腕を伸ばしたつもりでしたが、アルマジロはとても驚いた様子で、
クルクルクルリと小さく丸まってしまいました。
「まあ、どうしましょう」このまま泣きっづけると、この子は自分の甲羅の中で溺れてしまいます。
タムラーヌは困った顔で、丸まったアルマジロを拾いあげると、甲羅を叩いたり、
手で広げようとしてみました。
でも子供とはいえ、やはりアルマジロの甲羅はとても堅いのです。
タムラーヌはほとほと困り果てたあげく、ある事に気付きました。
そうです、丸まっていても泣きやめば溺れずにすむのです。
タムラーヌはアルマジロ体を掌にのせ、ゆっくりと、それはそれは優しくゆらしはじめました。
そしてタムラーヌは歌います。
それはとても綺麗な声と暖かい旋律でした。
『風車、まわるまわるよ風に揺れ、沈丁花、香る花びら風に舞う。
揺らす花びら坊やのお家、坊やの揺籠馴こ揺れ・まわるまわるよ風車・・・』
タムラーヌが歌ったのは子供の頃に聞いた子守歌でした。
これを聞いたのは、もうずいぶん昔のようでもあり、つい今しがたのような気もしました。
なんども歌っているうちにふと気付くと、堅く閉じていたアルマジロ坊やの甲羅から
何とも可愛らしい手がのぞいていました。
「まあ、可愛い・・・」
タムラーヌは人差し指を出すと、チョイチョイとその小さな手のひらをさわりました。
アルマジロの坊やはすっかり安心したのでしょう・ぐっすりと眠っています。

それにしてもこの子の母さんはどこへいったのでしょう?
タムラーヌは辺りを見回しましたが、母さんアルマジロはどこにもみあたりません。
ふんわりとした草の上に寝かしておこうかとも考えましたが、うっかり踏まれでもしたら大変です。
タムラーヌはアルマジロ坊やをそっとポケットに入ると、母さんを探しに出掛けることにしました。

暫く歩くと、タムラーヌに声をかける人がいました。
「お嬢さん、花の種はいらんかね?安くしとくよ」
どこかで見たような顔のおじさんは、道端の台の上にいろんな形の種を並べ、タムラーヌを
見上げました。
今はそれどころではないタムラーヌですが、ほんのちょぴり立ち止まると、
ハートの形をした小さな種を指差し
「これにはどんな花が咲くの?」と尋ねました。
するとおじさんは「そりゃあんたしだいさ」と言って大きな声で笑うのです。
『失礼しちゃうわ』
気分を悪くしたタムラーヌは、そのままズンズン歩いていきます。
そして次に立ち寄った店屋で、タムラーヌはアルマジロのお母さんをしらないかと尋ねてみることに
しました。
しかし店の主人は、悲しそうな顔をして首を横にふったのです。
「ここいらでアルマジロなんて見掛けたのは、もううんと昔のことさね。今じゃ
バクを見るのも希になっちまった」
肩をすくめて溜め息をっく主人に、タムラーヌは礼を言って店を出ました。
溜め息をつきたいのは自分の方だとタムラーヌは思いました。
だっていつも町は知らない人ばかりなのです。
寂しさも怖さも感じませんが、賑やかな往来の真ん中で、タムラーヌは一人ぼっちでした。

アルマジロのお母さんなんていったいどうやって探せばいいというの?
タムラーヌはちょっぴり不安になり、そっとポケットに手を伸ばしてアルマジロ坊やのおさまり具合を
確かめました。
坊やはまだぐっすりと眠っています。
その感触にほっと胸を撫で下ろしたタムラーヌは、また少し力が湧いてきました。
「そうだわ、町外れに行きましょう」
タムラーヌの中にある考えが浮かびました。
それはこの季節に毎年決まってやって来る、移動遊園地のことでした。
もしかするとアルマジロ坊やは、そこでお母さんとはぐれたのかもしれません。
タムラーヌはそう決めると、急いで町を出て、草の生い茂った小道に足を踏み入れました。
耳を澄ませると、どこからかストリートオルガンの軽快な音楽が聞こえてきます。
タムラーヌは見知らぬ人々の住む町には振りかえりもせず、サッサと歩き出しました。
だって振り向いたところで、あの物売りや町並みが残っているとは限りません。
タムラーヌは今、誰の事よりアルマジロの事と自分の事で精一杯なのです。
木々が鬱蒼と生い茂る小道を歩きつづけると、しだいに楽しげな音楽は大きくなって聞こえます。
それを聞くと、幾重にも絡んだ蔦を払い除け、木の枝をくぐりながらも、
タムラーヌの足はしだいに早くなって行きました。
でも、どういうわけなのか分かりませんが、行けども行けども目的の場所には辿り着きません。
『この道はこんなに大変だったかしら?こんなに狭苦しくて嫌な道だったかしら?』
とうとうタムラーヌがそう咬いた途端、目の前がポッカリと大きく開かれていました。
間近に聞こえるオルガンの音、森の中に忽然と姿を現す華やかで美しい回転木馬。
優しく回る観覧車、独特の物売りの声や見世物小屋の呼び込みの声まで、
全てが一瞬にしてタムラーヌの耳や目の中に飛び込んできました。
「まあ・・・、なんてステキなんでしょう」
あてもないままふらふらと歩き出してしまうタムラーヌです。
だって、くるくる回ったり、ゆらゆら揺れたりする乗り物が嫌いな娘なんて、
そうは居るはずありませんもの、仕方ありませんね。
もはや楽しい音楽を聞いているだけで、体がムズムズして居ても立ってもいられない
状態になってきました。
観覧車の前で立ち止まり、一番高い所にのぼった箱をながめていると、
観覧車を動かしていた直立ワニがタムラーヌに声を掛けました
でも、残念なことにタムラーヌはお金を持っていません。
大きな溜め息を着いてその場から離れようとしますと、
「なんだ乗らないのかい?切符なら心配しなくても、ポケットの中のものと交換で乗っけてやるぜ」と、
ワニは大きな口でペロリと舌なめずりをして、小さな目をよけい小さく細めました。
「だめよ、これは食べ物じゃないんだから!」
タムラーヌはプンプン怒りながら踵を返しました。
「おっと・・・」
勢い良く振り返ったはずみで、タムラーヌは誰かとぶっかります。
「ごめんなさい!」
とっさに謝りはしましたが、人間にぶっかったような感じがしません。
「あら?」
タムラーヌは顔を上げてその人物を見ると、露骨に顔をしかめました。
そこにはキラキラ光る宝石を体中にくっけた男が立っていたのです。
その人が勘違いをしているか、出番を間違えたのは一目瞭然です。
だってタムラーヌは今・・・。
「お嬢さん、何でも望みの物を言づてごらんなさい。私に適えられない幸せなんてありませんよ」
男は自信ありげに眉を片方あげると、コホンと咳払いをし、蝶ネクタイをなおしました。
確かに男はお金持ちそうですし、とてもハンサムでもあります。
しかし、タムラーヌの好みではありませし、幸せにしてもらおうなんて
これっぽっちも思いませんでした。
それに見てくれはたしかに良いのですが、そいっは横から見みると、まるで紙きれの
ようにペラッペラの薄っぺらなのです。
きっとそれは(ように・・・)ではなく、本当に紙で出来ていたからに違いありません。
『よくそれで立っていられるわ…』タムラーヌは内心そう思いながら、男にいってやりました。
だって、今タムラーヌが探しているものはそれではないのです。
「じゃ、望みのものを頂戴。アルマジロのお母さんよ!」
タムラーヌが金ピカの目を見詰めて勢いよく言うと、、男はさけびごえをあげ、
あっというまに強い春風に吹き飛ばされて行ってしまいました。
「…ったく、なんだって言うのかしら?」
タムラーヌはせいせいしたようにフンと鼻をならすと、また遊園地の中を歩き始めました。
「でも、いったいどこに行けばいいのかしら」少し疲れの見えはじめたタムラーヌを
呼び止めたのは、回転木馬を回していたロバのお婆さんでした。
「どうしたんだい、浮かない顔だね。遊園地に来た娘っこは、もっと楽しそうにするものだよ。
たとえほんとはそうでなくてもね」
ロバのお婆さんは顎をしゃくってタムラーヌを木馬に乗せようとしました。
「御免なさいお婆さん、私お金を持ってないの」
タムラーヌはすまなさそうにいうと、お婆さんは驚いた顔をして、
チッチッチッ・・・、と舌を鳴らしました。
「嘘を言ってはいけないね。ちゃんと頭にくっっいているよ。不用心だからさっさと使っておしまい」
タムラーヌは驚いて頭に手を乗せると、どういうわけか覚えのない銅貨が三枚
乗っていました。
「乗ります」
タムラーヌが言うと、お婆さんは目を細めて笑いました。
「ちょうど三枚だね。はい、楽しんどくれよ」
受け取った銅貨をお婆さんが箱にいれると、それは又もとの桜の花びらに
戻っていきます。
タムラーヌは白い体に、赤い薔薇の手綱が着いた木馬にしがみっきました。
「そら、しっかりっかまってるんだよ」
お婆さんロバが、ムッと力を込めると、回転木馬は軽やかなメロディーにあわせ、
クルクルと回りはじめます。
それは今まで乗ったどんな回転木馬より、素敵な回転木馬でした。
スピードもさることながら、上にあがるときはまるで空にとどくほどに、また下に
下がるときは地面すれすれに、なんどもなんどもタムラーヌを揺らせます。
それはまるで、そう・・・赤ん坊方の頃に抱き上げられた時のような、そんな感じなのです。
十分に楽しんだタムラーヌは息を切らしてお婆さんロバの所へ掛け降りていきました。
「楽しかったわ!ほんと、とっても楽しかったわ!」
たてがみにしがみついてはしゃぐタムラーヌに、お婆さんロバは、
「そうかい、それはよかったね。笑ってみたらどうだい、楽しくなったろう。無理はしなくていいけどね、
先に笑って待ってると、楽しい事が後から追い付いてくることもあるもんさ」
といいました。
次に少し息をきらしたお婆さんロバは観覧車を見やると、
「あんたあれにはもう乗ったのかい?」
と聞きました。
タムラーヌは大きくかぶりをふっていいます。
「まさか、あの観覧車の直立ワニは、私のアルマジロを食べようとしたのよ」
「アルマジロだって?」
お婆さんロバは不思議そうに言いました。
「そうよ、私がお母さんを探してる、このアルマジロをよ」
そういって優しくポケットをなぜるタムラーヌを、お婆さんロバはなぜか首を傾げて見ていました。
「ははん・・・、アルマジロ。 そうかいアルマジロかい」
おかしそうに笑うお婆さんロバにくタムラーヌはこう聞きました・
「この子のお母さんを探したいの、だからどこに行けばいいのか教えてちょうだい」
お婆さんロバはちょっと困った顔をしました。
「そうさねえ、探すのは以外に簡単なことさ。でもその子が目を覚まさない限りは
無理なんだよ。まずはその子を起こすこと。それからゆっくり、その子のお母さんに会いに行っておいで」
それを聞いたタムラーヌの顔がパッと明るくなりました。
「わかったわ、かわいそうだけど一度起こしてみるわ」
タムラーヌは急いでポケットからアルマジロを取り出します。
するとロバのお婆さんは、なぜかタムラーヌにお別れを言うのでした。
「そうかい…さようなら、元気で暮らすんだよ」
「えっ?」
タムラーヌがアルマジロの小さな手を摘んだのはその時でした。
あたり一面に、突如ものすごい風が巻きおこりました。
あんなに縞麗に咲いていた桜の花も菜の花もチューリップも、一瞬にしてすべて
花吹雪に変わって行きます。
立て看板やポスターもふき飛ばされ、タムラーヌは目を開けていることもできず、
立っているのさえやっとという有様でした。
タムラーヌは咄嵯にアルマジロをポケットに押し込み、近くにあった林檎の幹にしがみつきます。
「おばあさん!おばあさん!・・・」
いくら叫んでも、もうその嵐の中にお婆さんロバの姿はありません。
回転木馬も、観覧車も、すべてが跡形も無く消えてしまっています。
タムラーヌは自分の体から力が抜けていくのを感じました。
でも今ここで手を離せば、自分もどこかに飛ばされて行ってしまうのです。
『がんばらなきゃ・・・、しっかりしなきゃ・・・』
心の中で叫び、必死でしがみつくタムラーヌの耳に、どこからともなく聞き慣れた声が
聞こえてきました。
強い風に逆らい、うっすらと目を開けると、そこにはポケットから這い出してきた
アルマジロの子供が居たのです。'
アルマジロは小さな手でポケットの縁にしがみつき、こう言いました。
「もういいよ、大丈夫だから、心配しないでいいから・・・」
アルマジロの瞳に見詰められると、タムラーヌはなぜか少しずつ心の底が落ち着いてゆきます。
「そうか、もういいんだっけ・・・」
眩いた瞬間、タムラーヌの体はとても暖かい腕にすっぽりと抱きあげられたような感じがしました。
ゆっくり、ほんとうにゆっくりと体を丸め、深い眠りに落ちて行くのがわかります。
そしてその瞬間、どこからか聞えていたのは、あの懐かしい風の子守歌だったような
きがしました。

「・・・・・・まわるまわるよ風に揺れ、沈丁花、薫る花びら風に舞う。
揺らす花びら坊やのお家、坊やの揺籠風に揺れ…」
「お、お師匠様…?」
タムラーヌは目を開けると不思議そうに聞きました。
「はい、なんでしょうか?」
アイコーディアは歌をやめると、タムラーヌの顔をのぞきこんで微笑みます。
手には作りかけのレンゲの首飾り、そしてそれはもうずいぶん長いのです。
どこからか聞える鳥のさえずりと、木立ちの触れ合う音。
アイコーディアは当然のように首飾りのはしをキュッと縛ると、タムラーヌの首にスッポリとかけ、
満足したようにうなずきました。
「わたし、ここで居眠りをしてました?」
タムラーヌは眩しそうにを目を細めていいました。
木洩れ日の芝生の上では、小さな鳥の影が滑るように横切って行きます。
「そうね、とても気持ち良さそうに眠っていましたよ」
アイコーディアは、それも当然だと言うように答えます。
でも、それを聞いたタムラーヌの中には、急に恥ずかしさと情なさが込み上げてきました。
「すみなせん、あの・・・わたし、その・・・」
「いいのよ、あなたのおかげで今日はとても素敵なお茶が頂けるのですから」
タムラーヌは、アイコーディアの言っている意味がよくわかりませんでした。
だから何か言葉をかえそうとするのですが、どうもうまくいきません。
身の置き場にとまどって、モゾモゾとスカートの裾に手を掛けたとき、
タムラーヌの心臓は、ドクンッ!と大きく脈打ちました。
「あっ・・・!」
それは手に触れたスカートのふくらみです。
タムラーヌには、ちょうどその掌におさまる程度の、真ん丸いものには心当たりがありました。
信じられない面持ちで、そっとポケットに手を入れ、息を止めたまま膨らみに
手をふれるタムラーヌ・・・。
そして今度は心の中で、『あっ・・・!』っと声をあげました。
それは、短い産毛がいちめんに生えた桃の実だったからです。
モモヤマルドの里から、タムラーヌのお母さんが送ってくれたものなのです。
タムラーヌはそれを取り出すと、手のひらで愛しそうにコロコロと転がしました。
桃はポケットに入れたときと、出したときでは、なぜかずいぶん違った物に見えます。
「どうしました?」
アイコーディアの声に、タムラーヌはクスッと笑いましたが、これと言った答えは
かえしませんでした。
そしてそんなタムラーヌの笑顔に、アイコーディアも微笑みかえします。
きっと笑顔に理由はあっても、意味などありませんからそれでいいのでしょう。
「お師匠さま・・・、こんな私でいいですよね?」
タムラーヌが自分に確かめるような口調で、アイコーディアに聞きました・
「まあ、こんな可愛いあなたでなくて、どんなタムラーヌを好きになればいいの?」
アイコーディアが答えます。
たったそれだけの言葉に、タムラーヌの心はとても元気になったようなきがします。
とうの昔に手放した風の揺籠と子守歌。
一生懸命頑張って、とても良く似た心地好さを掴まえていたはずなのに。
これはきっと、何かをしたからではなく、自分が自分で居られる瞬間に、
無理無く揺籠は揺れるもののようでした。
『一度、モモヤマルドに帰ろうかな・・・』
タムラーヌはいつものように身構えること無く、なぜか自然にそうつぶやきました。
お日様は木陰を包み込んでとても柔らかく降りそそいでいます。
いろんな命に囲まれていると言うことは、とても皮膚感覚がピリピリして、
心臓がトキドキするもののようです。
でも、追い立てられているような緊張感はどこにも見当たらず、
タムラーヌはいっになく大胆なあくびを一っすると、キュッと背筋をのばしました。
そうこうするうち、芝生の向こうからは、他の見習い魔女たちがデーブルと
ティー・セットをさげて楽しそうに歩いて来ます。
さてさて、時計にはけして指図されない魔女の家も、お茶の時間だけは守られなかった
ためしがありません。
時間は本来こういうふうに流れ、なるようになって流れていくもののようです。
タムラ−ヌは今、おいしいお茶を飲みながら、庭のすみを駆けてゆく小さなアルマジロに
そっと手を振ったところです。